『해변의 카프카』 제43장
★honeybee★さんに続いて43章です。
*記事アップが遅れてごめんなさい。日々難題に追われていました…
カフカはすべてを捨てて、森の奥に分け入っていきます。実際に荷物をすべて捨て、文字通り身一つで、「그곳에 있는 공백에 몸을 내맡기려고 한다(そこにある空白に身をまかせようとする)」。
そうしてふと沸いた疑問。15歳のカフカにとって最も強烈で、唯一の疑問。
왜 어머니는 나를 사랑해 주지 않았을까?
나에게는 어머니의 사랑을 받을 만한 자격이 없었던 것일까?
どうして彼女は僕を愛してくれなかったのだろう?
僕には母に愛されるだけの資格がなかったのだろうか?
自分が母に置き去りにされたことを考えているうちに、カラスと呼ばれる少年が現れます。
혹은 나라는 경직된 껍질에서 빠져나가 한 마리 검은 까마귀가 되어 뜰에 있는 소나무의 높은 가지에 앉아,거기에서 툇마루에 앉아 있는 네 살 난 나를 바라본다.
魂は僕というこわばった皮から抜け出して一匹の黒いカラスとなって庭にある松の木の高い枝にとまり、そこから縁側に座っている4歳になる僕を眺める。
カラスと呼ばれる少年は、カフカ自身の魂であり、彼はカフカに「彼女を許さなくちゃいけない。それが君にとっての唯一の救いになる」と言います。
カフカとカラスと呼ばれる少年のやりとりを読みながら、カフカが必死で大人になろうとしているような気がしました。生きていくうちには、どうにもならないこと、やり直したくてもやり直しができないことが存在します。そのことに捉われ、もがき苦しんでいることができるのは若者の特権だと思います。が、そうしているだけでは先に進めません。大人になるというのは、生きていくというのは、そういうどうにもならないことたちとどういう形であれ、折り合いをつけて、ある意味自分をだましてでも納得して先に進むことじゃないでしょうか。
カラスと呼ばれる少年は、カフカの母親はカフカを愛していたし、愛しているがゆえに置き去りにしたと言います。でもそれって本当にそうなんでしょうか? カフカがそう思いたい、そう思わないとこの先とても生きていけないと、無意識のうちに自己防衛が働いているんじゃないかな。でも、それは決して他人が非難できることじゃないと思います。
また、カラスと呼ばれる少年は、カフカの母親がそのとき圧倒的な恐怖と怒りを抱いていたことを理解しなくちゃいけないと言います。そう、母親だって、一個の人間であって、そのとき彼女が抱いていた圧倒的な恐怖と怒りも、決して非難されるべきものじゃないと思います。
ほんとうにどうにもならないことってありますよね。正しいとか間違っているとか、後にそういう評価が出てくることはあっても、当事者としてまさに「その時」そうせざるをえなかったってこと。いろんな不幸な出来事って、こういう種類のものじゃないかな。戦争だってそうだと思います。ただ、当事者がそれを言い訳にするのは許されないと思いますが…。でも、それが過去のことになったとき、カラスと呼ばれる少年が「오히려 너를 무척 깊이 사랑하고 있었어.너는 먼저 그것을 믿어야만 해.그것이 출발점이야.(お前の母親はかえってお前をすごく愛していたんだ。お前はまずそれを信じなくちゃいけない。それが出発点だ)」と言ったように、まずは相手を信じて、それが相手を許すことができる出発点になるということなんじゃないでしょうか。
さまざまな思いを胸に抱いたまま、途方に暮れるカフカですが、ついに“入り口”に辿りつきます。
★次はまろさんです。よろしくお願いします
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コメント
どちらかの親に置いて行かれたら、きっと誰でも「親は自分を愛していたのだろうか」とずっと疑問に思い続けるんでしょうね。
カフカ少年は「中に会いたい人がいる」と兵士に告げますよね。どうしてそう思ったのでしょうか。
それと、二人の兵士は「戦争に行って人殺しをしたくないから、ここにとどまった」と言っていますが、日本人でも第二次世界大戦中、軍隊に行かずに逃げおおせた人がいるんですよね。何で読んだのか思い出せないのですが...。
いよいよ森の奥の秘密が明かされそうです。
投稿: ハーちゃん | 2010年7月16日 (金) 08時35分
カフカくんが持物も恐怖心も捨てて森に分け入っていくところが印象的でした
最近特に、モノが多くてモノに振り回されている気がして整理整頓してるとこなので^^
もともと身軽でシンプルなカフカくんでしたが
身を守るための最低限のモノまで脱ぎ捨てて分け入っていくその勇気!
最後は魂しか残らないんだと頭ではわかっていても
なぜかモノが欲しくなって、身の回りをモノで固めてしまう自分とはやっぱりタフさが違う…
恐怖心は実は自分が作り出すものなんだと気づいている15歳って、ある意味すごいオトナだなぁと感心します
誰か(例えば母親)が自分を愛していたかどうかも同じことで
真実はどうあれ、結局は自分のとらえ方次第なんだと気づくまであと一歩ですね
がんばれカフカくん!
投稿: ★honeybee★ | 2010年7月16日 (金) 11時33分
>ハーちゃんさん。
戦争というのは、ほんとうに悲惨なものですよね。
子どもの頃、祖父に戦争のことを聞いても、
なにも答えてくれなかったことを覚えています。
人を殺すことが正しいという世界にはなってほしくないです、絶対に。
投稿: nikka | 2010年7月17日 (土) 00時52分
>★honeybee★さん。
勇気はもちろんあったと思いますが、
もう必然の道というか、そうせざるをえない切迫感もありましたね。
実は、入り口に入った後の出来事が、
よくまだ理解できてなくて(>私が)、
読みなおさなくては…
投稿: nikka | 2010年7月17日 (土) 00時56分
カフカ君は何とかして愛情を得たいのですよね。母親からはもらえなかった愛情。
人はどうしてこうも愛情をほしがるのでしょう。
自分が誰かにとって大切な存在であるという確信がないと、不安で生きていけないのですよね。
それほど愛情がほしいのに、戦争という人殺しもできる。
矛盾した生きもの。
「やり直したくてもやり直しができないことが存在します。そのことに捉われ、もがき苦しんでいることができるのは若者の特権だと思います」という意見を読んで、私は若者でもないのに、一生もがき苦しみそうだと思いました。
いつになったら大人になれるのでしょうか。
入り口から入る世界にはその答えがあるのかな
投稿: テラ | 2010年7月17日 (土) 19時17分
>テラさん。
「自分が誰かにとって大切な存在であるという確信がないと、不安で生きていけないのですよね。」
…たしかにそうですね。
これが一番難しいことじゃないですか?
自分で確信を持つということも、誰かに確信を持たせるということも。
投稿: nikka | 2010年7月18日 (日) 00時53分