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2019年10月29日 (火)

RIP

緒方貞子さん。

人としてとても大きな方でした。

何者にも阿らない、自分を信じる強さを持った方で、敬愛していました。

RIP

************ 以下、英文はNHK WORLD記事より

Japan's first UN High Commissioner for Refugees, Sadako Ogata, has died at the age of 92.

日本初の国連高等弁務官だった緒方貞子氏が92歳で亡くなった。

Ogata was born in Tokyo in 1927. She was the great granddaughter of former Japanese prime minister Tsuyoshi Inukai. Her father was a diplomat and she spent her childhood living overseas.

緒方氏は1927年東京で生まれた。彼女は犬養毅元首相のひ孫娘。父親は外交官で彼女は幼少期を海外で過ごした。

After graduating from the University of the Sacred Heart in Japan, Ogata went to the United States where she earned a master's degree at Georgetown University and a doctorate at the University of California, Berkeley.

聖心女子大学を卒業後、緒方氏はアメリカに渡り、ジョージタウン大学で修士号を、カリフォルニア大学バークレー校で博士号を取得した。

In 1976, Ogata became the first Japanese woman Minister at the Permanent Mission of Japan to the United Nations.

1976年、緒方氏は国連日本政府代表部で初の日本女性大臣になった。

Her stint as the first Japanese UN High Commissioner for Refugees lasted 10 years from 1991 to 2000.

彼女の初の日本人国連難民高等弁務官としての任務は1991年から2000年まで続いた。

The tumultuous period saw the collapse of Yugoslavia and the Soviet Union that led to regional conflicts, as well as the genocide in Rwanda. Ogata's stance was to hit the ground herself to see the plight firsthand of the massive number of refugees driven out of their homes.

激動期には、地域紛争につながるユーゴスラビアとソビエト連邦の崩壊、さらにはルワンダの大量虐殺があった。緒方氏のスタンスは、故郷を追われた膨大な数の難民の苦境を直接見ようと現場に立つことだった。

Shortly after Ogata became the UN refugee chief, 1.4 million Kurds displaced in northern Iraq were denied entry into Turkey. This prompted her to initiate a policy change at the UN refugee agency, by adding to its mandate people internally displaced by conflicts.

緒方氏が国連難民機関のトップになった直後、北部イラクで強制退去させられた14万人のクルド人がトルコへの入国を拒否された。このとき緒方氏は紛争によって国内退去させられた人々の救済をその任務に追加し、国連難民機関の政策を変換させた。

Ogata served as President of the Japan International Cooperation Agency, known as JICA, from 2003 to 2012.

2003年から2012年まで、緒方氏はJICAとして知られる国際協力機構の会長を務めた。

 

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2019年10月 8日 (火)

バス旅行、楽しかった〜!!

1泊2日で、大学時代の友人と白川郷、飛騨高山&上高地をめぐるバス旅行に参加しました。

彼女は、私の数少ない気のおけない友だちの一人。

久しぶりにゆっくり話もできて、とっても楽しい旅行でした✨

 

実は白川郷〜飛騨高山は35年前に、高校の修学旅行で回ったところ。世界遺産登録もあって当然町並みも整備されて景観は変わっていましたが、屋台会館とか変わっていないところもあって、とっても懐かしかったです。

上高地はマイカー規制があるため、これまで行ったことがなかったのですが、3時間ほど現地で自由時間があったので、大正池〜河童橋は歩くことができて大満足。

紅葉がいまいちだったのがちょっと残念だったけど。

 

どこに行っても外国人の多さに驚くほどで、宿泊したホテルでもたくさんの外国人を見かけました。

広いホテルで館内移動が多く、迷子になるほどで、2度ほど困っていそうな外国人に声をかけました。(外国人が多いのにスタッフが少なく、英語の案内もほとんどなくて不親切だったなあ…。)

英語が話せなくても、そういう人に声をかけるのは苦にならない私。

そのやりとりを見ていた日本人の方から「英語話せるんですね! いいですね〜!」と言われ、ちょっとだけ嬉しかったです。実際には、なんとか単語を並べて会話した…という程度だったんですけどね。

メキシコからツアーで来たというご婦人がいて、これまで広島、岡山、大阪、京都、金沢、和歌山を回ってきたらしいのですが、ツアーは2週間で、その日はこれから富士山に行くと行ってました!! すっごいハード…💥

彼女はツアーの移動には辟易してるふうだったけど、日本はどこもとっても美しくて、感動してるって言ってました😃

 

外国人に話しかけるのに、当然、英語で話そうとしたのですが、案の定というべきか、まず浮かんでくるのは韓国語…💦

1年以上、韓国語じゃなくて英語を勉強しているのに、しゃべろうとするとまず韓国語が浮かぶんですよね。

やっぱり英語で話す練習を全くしていないからだろうけど。これには困りました。

これから少しは会話の方も意識しないとダメだなあ…。

 

 

 

 

 

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