2010年10月14日 (木)

「カフカの会」終了~♪

 去年の5月から続けてきた「カフカの会」。村上春樹さんの『해변의 카프카(海辺のカフカ)』の韓国語版を、ネットを通じて読書会的な感じでみんなで読みましょう!という会でしたが、このたび、ようやく下巻最終章に到達しました~!

 最初はちょっとした思いつきでテラさんと「やろうやろう!」ってことで始めたのですが、自分のブログで記事をアップしてくださる方や、コメントを付けてくださる方など、それなりの広がりをもって続けられて、とっても満足しています。みなさん、ありがとうございました

 実際にコメントはしてないけど「読んでますよ~」とか「記事を楽しみにしています」とか、そういうありがたいメッセージをメールで送ってくださる方もいたりして、ネットの力ってすごいなと思ったりなんかして。

 記事アップされていた方が、それぞれ「カフカの会」を通じて、『海辺のカフカ』を読んで感じたことなど、記事アップされているので、ぜひ読んでみてください(テラさんたまさん、★honeybee★さんまろさん)。

 私、個人的には、読書という個人的な楽しみをみんなで共有できたというのが一番素敵な体験でした もともと読書好きで、友だちと小説の話をするのは身近にやっていますが、韓国語の本を…となると、これは不可能だったんですよね。『カフカ』を読みながら、「ここの表現は…」とか「ここはどういうこと?」とか、それが正しいとか間違ってるとかそういうのは問題外で、いろいろ突っ込んで話ができたのがとても貴重な体験となりました。単純に楽しかったしね!

 あと、参加された多くのみなさんがおっしゃるのが、「原書(韓国語の本)を読むのに抵抗がなくなった」ということです。私もそうですね。カフカを読んだ後、2冊これまで原書で読みました。翻訳本のカフカよりかなり難しく感じましたが、「読むのは無理」とは全然思わなくて、少しずつですが読み進められました。原書に対して感じていた敷居の高さを感じなくなったのは大きなことだと思います

 さて、参加された方は、「カフカの会」が終わり、みなさんなんとなく物足りないような(>ほっとしたような?)気持ちでしょう。また、なにか面白い企画を考えてみんなでやりたいですね! どなたかいい企画があれば上げてくださいね。私も考えていることがあるのですが、具体的にどうしたらいいのかまだわからないので、のちほど…  

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2010年9月 7日 (火)

『해변의 카프카』제47장

★honeybee★さんに続いて47章です。
 韓国語の本には「재생과 구원의 길」(再生と救いの道)というサブタイトルがついています。

 時間はあまり重要でなく、食事をしなくても平気で、字というものが全く見当たらない不思議な空間で、カフカ君は少女時代のサエキさんと、大人になったサエキさんに、それぞれ会います。

 大人のサエキさんがどうしてもカフカ君に伝えたかったこと。それは、元の世界に帰り、そこでサエキさんのことを覚えておいてほしいということでした。そして「海辺のカフカ」の絵を、ずっと持っていてほしいとも…。

 カフカ君はサエキさんを許すことができました。サエキさんの血を飲むという行為は、母を許し、濃い血の繋がりを再構築する儀式のような気がします。「生きるということの意味がわからない」というカフカ君に、サエキさんは「絵を見なさい」「私がそうしたのと同じように」と答えて去ってしまいますが、これは一つの生き方、生き抜く知恵をカフカ君に授けたのかもしれません。

 来た道を戻り、「入り口」が開いているうちに元の世界に戻ってきたカフカ君。一度だけ後ろを振り返ったとき、強烈に引き戻されそうになりますが、「元の世界に戻らなければならない」というサエキさんの最後の言葉に、我に返り、戻ってくることができました。ここでは、母としてのサエキさんの、息子であるカフカ君に対する強烈な想いを感じました。

 前の章の「カラスと呼ばれる少年」では、克服できなかった父親との確執が描かれていましたが、この章では、母親との関係はフラットになった感じがして、少しほっとしました。親との関係性が以前とは違ってきたことで、これから完全に元の世界に戻って現実を生きていくうえで、今までとは違う世界が見えてくるような気がします。

―心に残った文章

그건 어떤 기분일까? 네가 완전히 너이면서,동시에 온전히 내 일부가 된다는 것은?
それはどんな気分なんだろう? 君が完全に君でありながら、同時に完全に僕の一部となるということは?

나를 기억해 주는 것. 다무라군만 나를 기억해 준다면, 다들 모든 사람이 다 나를 잊어도 괜찮아.
私を記憶してくれること。タムラ君さえ私を記憶してくれたら、他の人がみな私を忘れても構わない。

次はまろさんです。よろしくお願いします~ 残り2章です

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2010年7月16日 (金)

『해변의 카프카』 제43장

★honeybee★さんに続いて43章です。
*記事アップが遅れてごめんなさい。日々難題に追われていました…

 カフカはすべてを捨てて、森の奥に分け入っていきます。実際に荷物をすべて捨て、文字通り身一つで、「그곳에 있는 공백에 몸을 내맡기려고 한다(そこにある空白に身をまかせようとする)」。

 そうしてふと沸いた疑問。15歳のカフカにとって最も強烈で、唯一の疑問。

 왜 어머니는 나를 사랑해 주지 않았을까?
 나에게는 어머니의 사랑을 받을 만한 자격이 없었던 것일까?
 どうして彼女は僕を愛してくれなかったのだろう?
 僕には母に愛されるだけの資格がなかったのだろうか?

 自分が母に置き去りにされたことを考えているうちに、カラスと呼ばれる少年が現れます。

 혹은 나라는 경직된 껍질에서 빠져나가 한 마리 검은 까마귀가 되어 뜰에 있는 소나무의 높은 가지에 앉아,거기에서 툇마루에 앉아 있는 네 살 난 나를 바라본다.
 魂は僕というこわばった皮から抜け出して一匹の黒いカラスとなって庭にある松の木の高い枝にとまり、そこから縁側に座っている4歳になる僕を眺める。

 カラスと呼ばれる少年は、カフカ自身の魂であり、彼はカフカに「彼女を許さなくちゃいけない。それが君にとっての唯一の救いになる」と言います。

 カフカとカラスと呼ばれる少年のやりとりを読みながら、カフカが必死で大人になろうとしているような気がしました。生きていくうちには、どうにもならないこと、やり直したくてもやり直しができないことが存在します。そのことに捉われ、もがき苦しんでいることができるのは若者の特権だと思います。が、そうしているだけでは先に進めません。大人になるというのは、生きていくというのは、そういうどうにもならないことたちとどういう形であれ、折り合いをつけて、ある意味自分をだましてでも納得して先に進むことじゃないでしょうか。

 カラスと呼ばれる少年は、カフカの母親はカフカを愛していたし、愛しているがゆえに置き去りにしたと言います。でもそれって本当にそうなんでしょうか? カフカがそう思いたい、そう思わないとこの先とても生きていけないと、無意識のうちに自己防衛が働いているんじゃないかな。でも、それは決して他人が非難できることじゃないと思います。
 
 また、カラスと呼ばれる少年は、カフカの母親がそのとき圧倒的な恐怖と怒りを抱いていたことを理解しなくちゃいけないと言います。そう、母親だって、一個の人間であって、そのとき彼女が抱いていた圧倒的な恐怖と怒りも、決して非難されるべきものじゃないと思います。

 ほんとうにどうにもならないことってありますよね。正しいとか間違っているとか、後にそういう評価が出てくることはあっても、当事者としてまさに「その時」そうせざるをえなかったってこと。いろんな不幸な出来事って、こういう種類のものじゃないかな。戦争だってそうだと思います。ただ、当事者がそれを言い訳にするのは許されないと思いますが…。でも、それが過去のことになったとき、カラスと呼ばれる少年が「오히려 너를 무척 깊이 사랑하고 있었어.너는 먼저 그것을 믿어야만 해.그것이 출발점이야.(お前の母親はかえってお前をすごく愛していたんだ。お前はまずそれを信じなくちゃいけない。それが出発点だ)」と言ったように、まずは相手を信じて、それが相手を許すことができる出発点になるということなんじゃないでしょうか。


 さまざまな思いを胸に抱いたまま、途方に暮れるカフカですが、ついに“入り口”に辿りつきます。


★次はまろさんです。よろしくお願いします

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2010年5月16日 (日)

『해변의 카프카』 제38장

★honeybee★さんに続いて38章です。

 「入口の石」を開けたホシノ青年とナカタさんは、つぎに何かを探しにでかけます。それが何であるかはまだわかりません。ただ「何か」を探しにレンタカーを借りて市内をぐるぐる探索します。
 二人の会話のやりとりがすごく面白い章でした。これまでもそうだったのですが、二人の間に「阿吽の呼吸」が完全に成り立っているようなそんなやりとりで、読んでいて楽しかったです

*気になった言葉・表現

・이 처지에 돌한테까지 원한을 사면 꼴이 말이 아니지.
(このうえ石からも恨みをかえばひどい有様だ。)
 「말이 아니다」で「話にならない、ひどい」の意味で、よく耳にする言葉ですね。「꼴」は姿、格好、様子を表わす(>否定的な評価をするとき)ので「ひどい有様だ」「ひどい姿だ」の意味になります。(検索したら、テラさんの9章の記事にも当たりました

・화면에는 으리으리한 대문이 솟아 있는 집이 비쳐지고 있었다.
(画面には豪勢な門がそびえたっている家が映し出されていた。)
 「으리으리하다」の語感が楽しいです。

・그렇게 되면 좋으련만.
(そうなればいいだろうが。)
 「련만」(=련마는)は能力試験高級にも出る文法事項です。

이런 짓을 계속하다간 나는 머지않아 그럴듯한 싱어송라이터가 되겠군.
(こんなことを続けていたら俺はそのうちいっぱしのシンガーソングライターになるだろう。)
 「머지않다」は「멀지 않다」の縮約形かな?と想像していたんですが、若干違いがあるようで、「머지않다」は時間的な、「멀지 않다」は空間的な概念を表わすそうです。*分かち書きもある、なし、が違うそうです。
詳しくは→コチラ 

 高松市内を二日間車で回り続け、とうとう二人は「コウムラ図書館」に辿りつきます。ついにナカタさんとカフカ君の線が繋がりましたね。次はまろさん、よろしくお願いします

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2010年5月13日 (木)

今日は何の日?

5月13日は何の日でしょう?

…それは、「カフカの会」1周年の日(?)です~

去年の今日、「해변의 카프카(海辺のカフカ)」の序章の記事を書きました。

あれから、もう1年も経ってしまい、まだ最後まで辿りついてはいないのですが、それでも続けてこれたことがとてもうれしいです

参加されている皆さんに感謝いたします!

もう少しですので(あと10章くらいですね)、がんばりましょう~

*…あ、次は私だわ

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2010年3月24日 (水)

『해변의 카프카』제33장

★honeybee★さんに続きます。

第31章に続いて、サエキさんとカフカ君のやりとりが中心です。

 冒頭に、カフカ君が図書館の掃除をする場面があって、いろいろな単語が出てきます。

청소기로 밀다 掃除機をかける
먼지떨이로 털다 はたきをかける
빗자루로 쓸다 ほうきで掃く

*道具なので「-로」が使われていますね。こういう日常的な動作をどう言うのか、知らないことがたくさんあります

 「僕は100%自由だ」と言いながら、「自分はもうどこにも行けないことはよくわかっている」というカフカ。偶然(ほんとうは必然?)にもこの図書館に来て、オオシマさん、サエキさんという人たちと出会い、触れ合い、今はここを離れることができなくなってしまっているカフカ。オオシマさんも「人びとは実際には不自由が好き」な存在だと言います。「不自由」=不幸せなことではなく、「戻ることのできる場所みたいなもの」があるとも言えます。これまで失ってきた大事なものを取り返すために旅に出たカフカも、サエキさんとの関係によって、「大事なもの」を取り戻しつつあるようです。

 나는 해변의 카프카입니다.당신의 연인이며,단신의 아들입니다.까마귀 소년입니다.

 「カラスと呼ばれる少年」はやはりカフカ自身だったんですね。

 우리는 둘 다 자유로워질 수가 없습니다.우리는 어딘가에서 벼락을 맞은 겁니다. 소리도 없고 모습도 보이지 않는 벼락에.

 二人はどこかで雷に打たれた、音もなく形も見えない雷に…。「雷」って何なのでしょうね。簡単な言葉でいえば、「運命」みたいなものなのでしょうか。よくわかりませんが。

 いろいろなことが徐々に繋がって明らかになってきて、それでも謎は謎のままどんどん深みにはまっていってる感じがします 「入り口」が開いた今、読みながらクライマックスに向かっている緊張感を覚えます。以後がますます楽しみになってきた章でした

*では、続きはまろさんです。よろしくお願いします~。

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2010年2月14日 (日)

『해변의 카프카』제28장

★honeybee★さんに続いて、第28章「철학과 여대생의 지적인 매춘」です。

 サンダースおじさんに出会ったホシノ青年。変なおじさんに捕まったと思いきや、「入口の石」のありかを知っているというので、おじさんに勧められるままに女子大生を買うことになります(>必然性がわからない)。その女子大生は、学費を稼ぐためにアルバイトとして売春行為をしているのですが、哲学専攻らしく、コトの途中で哲学的な話をホシノ青年にしたりします。コトが済むと、サンダースおじさんは神社でホシノ青年を待っていて、「入口の石」がある場所に連れていくことにしました。

…以後、ちょっと書くのが憚られるような内容なんですが、おもしろかったので敢えて書いてみます。

 86ページ7行目の「거시기는 질척질척」の「거시기」がわからず辞書で調べたら、①話の途中、人物やものごとの名前がすぐに思い出せない時、その名前の代わりに使う語。ええとその、あのうそれは」、②「ことばがすぐ頭に浮かばないとか言いづらいときに出す語。ええと、あのう」とありました。「ええとその」?「あのう」?…これでは何のことかわからないので、原本を見たら、「あそこ」とありました。…! もしかしたら隠語か?とちょっとドキドキ(?)してしまいました(苦笑) で、まだ気になったものですから、勇気を出して(爆)ネット検索してみたところ、以下のサイトに辿り着きました。

KBS WORLD ●「거시기」について
http://world.kbs.co.kr/japanese/korea/program_kjculture_detail.htm?No=126

「거시기」は上で見たように大きく言って二つの機能があります。一つはすぐ思い出そうとする脳の働きがスムーズに行っていない時に使う代用品としての機能、もう一つはどの言葉を使うべきかはっきり分かっているけれども、その言葉を口にするのが不便だとか、きまり悪い場合に使われる機能です。

…ああ、よかった!(爆) なるほど、そういう言葉なんですね~!
なので、サンダースおじさんもわかってて(ホシノ青年はもちろんわかってるだろうという前提で)、はっきり言葉に出せないから거시기という表現が使われたんですね。

*はあ、なんか書いてて汗かいちゃった(苦笑)

 ほかにチェックした表現は、84ページの「성욕이고 뮈고 없어져버릴 거야(性欲も何も無くなってしまうだろ)」です。「-(이)고 -(이)고」で「~(で)も~(で)も」という意味で、「二つ以上のものを並べてそれをえり好みせず」というときに使います。(빵이고 떡이고 무엇이든 좋아요. パンでも餅でも何でもいいです。)

 同じページの「이런 제기랄!」は「ちぇっ、ちくしょう」という意味で、原本では「やれやれ」となっていました。たしかにここなら、「やれやれ」が合ってそうですね。

ということで、次はまろさんです。よろしくお願いします

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2009年12月30日 (水)

『해변의 카프카』제23장

第22章の★honeybee★さんに続いて、第23章、ついに上巻最終章です!

 カフカはその夜、幽霊を見ます。その幽霊は15歳の少女で、しかも彼女はサエキさん(の少女時代)なのです。そしてその少女にカフカは恋をします。サエキさんが19歳のときに出したレコードは100万枚以上を売り上げましたが、その曲のタイトルは「海辺のカフカ」でした。

海辺のカフカ

あなたが 世界の終わる場所に いるとき
わたしは 死火山の噴火口に いて
ドアの後ろに 立っているのは
文字を無くした 言葉

眠りにつくと 月が影を照らし
天からは 小さな魚が 降り注いで
窓の外には 固く心を閉ざした
兵士たちが立って いる

海辺の椅子に カフカは 座り
世界を動かす 振り子を 想う
心の丸い円が 閉じるとき
どこにも 行くことのできない スフィンクスの
影が 刀となって
君の 夢を 貫く

溺れた 少女の 指は
入口の石を 探して 彷徨する
青い裾を 持ちあげ
海辺のカフカを 見て いる

*韓国語版を逆翻訳してみました

 この詩は、偶然の一致としては恐ろしいくらい現在のカフカを取り巻く状況と酷似していて、それにカフカ自身も気がつきます。でも、意味がわからない部分があり、それが以後(下巻)のストーリー展開のキーワードとなっているようです。
 最近、パンマルを意識しているので、「‐말야」「‐지」とかが気になりました。スムーズに口から出るようになるといいなあ。

*********

「カフカの会」会員の皆様!!
やりましたね! ついに上巻完走ですよ
来年は、ちょっとだけスピードアップして、上巻の半分くらいの期間で下巻を完走したいですね!
(みなさんだいだい下巻まで読み終えてるからね
来年も一緒にがんばりましょ!!
で、できれば次の本にも挑戦したいですね。

下巻のトップバッターはまろさん。よろしくお願いします!

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2009年11月 3日 (火)

『해변의 카프카』제18장

第17章★honeybee★さんに続いて、第18章(일소에 부친 살인밤의 자수「一笑に付した殺人犯の自首」)です。

まず、この章で気になった表現から。

일소에 부치다 一笑に付す
더군다나(=도구나) そのうえ、しかも、さらに
잰걸음으로 足早に
 *辞書に載っていなかったので、네이버で調べたら、「보폭이 짧고 빠른 걸음」とありました。
용케 よくぞ、気丈にも、けなげにも
 *용하게=용하다+게の縮約形
 용하다…腕がいい、上手だ、すばらしい、ばか正直だ
나리 王子様、身分・地位の高い人の尊敬語(殿)、旦那様
 *경찰관 나리 警察官殿→本家では「お巡りさん」でした

以下、あらすじと感想です。

 気がつくと、ナカタさんはゴマちゃんを探しに通っていた空き地にいました。どうしてここにいるのか、さっぱり見当がつかないナカタさん。ジョニー・ウォーカーをナイフで刺した、その感触まではっきり覚えているのに、なぜか洋服に血しぶきひとつついてないし、なぜか猫たちとも会話ができなくなっていました。

 無事、ゴマちゃんをコイズミさんのお宅に帰してあげた後、ナカタさんは交番に向かいます。そこで若い警官に、事の一部始終(ナカタさんが覚えていること)を話しますが、警官はまともに受け取らず、そのままナカタさんを帰してしまいます。

 翌日中野区の一角に、突然、空からイワシとアジが大量に降ってきます。それは、ナカタさんが前夜、警官に予言したことでした。さらにその翌日、一人の彫刻家が自宅で殺されているのが発見されます。その頃、ナカタさんはすでに街を出ていました。

**********

 16章でナカタさんがジョニー・ウォーカーを殺してしまう場面は、どう考えても夢の中の出来事のようで、やっと現実に戻ってきた…と思いきや、彫刻家(ジョニー・ウォーカー)の死体が発見されます。ナカタさんが殺人者になってしまったというのが事実だったのが、なんというかすごくショックでした

 だって、ナカタさんって、そういうことから一番遠いところにいる(べき)人じゃないですか? なぜナカタさんを殺人者にしちゃったのか…。このナカタさんは、もしかしたら「私たち」なんじゃないかと思いました。普通に平凡に生きてる、殺人なんかとは関係ないはずの私たちのすぐ隣にも、実はこういう非日常的な危機が存在しているということだと思います。戦争なんか、まさにそうですよね。一人一人はまったく無垢な人たちでも、戦場という極限状態にポン!と置かれた瞬間に、目の前に来た敵(と位置づけられた人)を殺さないと自分が殺されるという、まったく理不尽な異空間に置かれます。そのとき、「私たち」はどういう選択をするのか? 考えたくもないことですが、村上さんはそういう現実もありうるんだということを私たちに知らしめたかったのかもしれません。

 ナカタさんは結局、その場から逃げることなく相手を殺してしまうという行動に出たわけですが、この選択は正しかったのでしょうか。正しかったか、間違いだったか…。ナカタさんはついに街を出ます。これまで一度も中野区から出たことが無いナカタさんが。私から見て、ナカタさんの行動は正しかったとはどうしても言えないのですが、ナカタさんの人生が動き始めたことは確かです。

 これからいよいよ、いろいろなことが動き始めます。つぎは、記事アップ初登場のまろさんです。よろしくお願いします

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2009年10月 9日 (金)

『해변의 카프카』제15장

 たまさんの第14章に続きます。

 この第15章(「상상력과 꿈에 대한 공포 想像力と夢に対する恐怖」)には、オオシマさんに連れて行かれた丸太小屋での生活が綴られています。カフカは、丸太小屋に独り取り残された孤独感と自然への畏怖を強烈に感じます。

 途中、カフカが、見上げた夜空に無数の星を見たときの恐怖が描かれていますが、私はこれとまったく同じ感覚を小学生のときに感じました。夏休みにキャンプ場かどこかに行って、夜空を見上げたら、見たことのないような多くの星が降り注いでいました。何億光年という遠い彼方から放たれた光が、今、自分が立っている場所に届いているという、とんでもなく果てしない時間を想像したら、まるで車酔いでもしたかのように、平衡感覚が保てない状態になりました。自分が生まれる前、そして死んでからも延々と続く時間軸に急に足をすくわれたような感覚で、あまりにもちっぽけで存在すらあるのかないのかわからないような私って…?という思いが押し寄せてきて…。まさにカフカと同じように、急激に息苦しさを伴って、ものすごい恐怖に包まれたことを今でも覚えています

 この章を読みながら、著者・村上さんがエルサレム賞授賞式でしたスピーチのことを思い出しました。(~以下、翻訳文から抜粋~)

「高くて、固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵側に立つということです。」
「私たちは皆、多かれ少なかれ、卵なのです。私たちはそれぞれ、壊れやすい殻の中に入った個性的でかけがえのない心を持っているのです。わたしもそうですし、皆さんもそうなのです。そして、私たちは皆、程度の差こそあれ、高く、堅固な壁に直面しています。その壁の名前は『システム』です。『システム』は私たちを守る存在と思われていますが、時に自己増殖し、私たちを殺し、さらに私たちに他者を冷酷かつ効果的、組織的に殺させ始めるのです。」

 村上さんはこのスピーチにおいて、「自分は『壁(システム)』側じゃなくて『卵』側に立つ」と宣言しました。(これを『カフカ』に繋げて考えるのはこじつけかもしれませんが、)例えば、ユダヤ人を大量殺戮したアイヒマンのような人間が「壁(システム)側」の人間だとすると、カフカは「卵側」に立つ人間でしょう。

내가 무엇을 상상하는가는 이 세계에서 어쩌면 대단히 중요한일린 것이다.
僕がなにを想像するかは、この世界にあっておそらくとても大事なことなんだ。

と考えるカフカは、たぶん、少なくとも「卵側」に立つ能力・資格を持つ若者でしょう。でも、実際にはまだ本当の「システム」に直面したことはありません。それが、これから起こる(もう起こっているかもしれない)現実の「システム」に対峙したとき、どうなってしまうのか、危うい存在でもあります。

*気になった副詞

지그시 そっと、じわじわと
→ 지그시 누르다 そっと押す

줄곧 ずっと、続けて
→ 줄곧 자신을 터프하다고 생각해 왔다 ずっと自分をタフだと考えてきた

흥건히 いっぱいに、じっとりと
→ 셔츠가 흥건히 젖다 シャツがじっとり濡れる

넌지시 それとなく、暗に
→ 넌지시 비친 게 아니다 それとなく仄めかしたのではない

*次はテラさんです。よろしく~です

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