2016年10月19日 (水)

また業界ドラマが始まりましたね

石原さとみ主演で、「地味にスゴイ! 校閲ガール・河野悦子」というドラマが始まりました。またまた出版業界を描いたドラマです。業界自体は衰退の一途を辿っているのですが(>自虐的)、なぜか人気ですね。

2話まで見ました。主人公の悦子が、設定年齢28歳の割に「女性」とは言えないような言動が多くて見ていてイライラしました。原作は24歳とどこかに書いてありましたが、それを石原さとみ(29歳)にしたので、ズレちゃったんでしょうか…? 生意気なのはいいでしょうけど、年上の社員にタメ口はないですよね。ファッション雑誌希望といいつつ、なぜあれほどケバいのかも謎です。それと、悦子が校閲を担当して作ったブロガーさんの本の表紙がダサすぎてがっかりでした。

悦子が表紙の誤字を見逃してしまった失敗を前に、校閲部の面々が自分の失敗談を語るところは、業界あるあるで、私も自分の過去の失敗を思い出してしまいました 悦子の周囲の人々(校閲部)はいい人が多いですね。失敗したときそれを責めても、責めるだけでなくちゃんとフォローに回ってくれるんですからね。すごくいい職場ですよね。

ドラマでの一番の違和感は、景凡社が大きな出版社ということです。小さな会社ならまだわかるんですけど、あれだけの大きな会社で校閲ができない人間を校閲で採用するっていうことはありえないでしょうね。10人も20人も採用するとか、逆に編集部に採用するというのなら別ですけど。まあ、ドラマなのでいいんですけどね 原作どおり「河野悦子(こーえつ)が校閲部に入る」っていうのが一番の前提ですからね。

このドラマは結局ラブコメになるんですかね? ジャンルとしては。「最強のワーキングガールズエンタメ」などと書いてあったので、お仕事ドラマなんでしょうね。でもなんかワチャワチャ感が強すぎて、そこが狙いなんでしょうけど、ついていけない気がしています…。

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2014年5月28日 (水)

「世界の果ての通学路」観てきました

 先週末、下の子(中2)と「世界の果ての通学路」という映画を観てきました。ガールスカウトのリーダーから「子どもたちに見せたい映画がある」っていうことで教えてもらった映画。ガールスカウトでは、昨年度から子どもの教育について考えるキャンペーンをやっていて関心もあり、下の子を誘って観に行きました。

 この映画に出てくる子どもたち(親も含めた、子どもたちの置かれた環境、社会)にとって、「学校」というのは今置かれている場所から抜け出すための唯一の手段(希望)なんですね。親の世代の貧困から抜け出すためには、勉強して、安定した収入が得られる職業に就くしかない。だから危険を承知で、毎日子どもの無事を祈りながら送り出している親の姿。私は親なので、子どものより親の立場でまずは映画を観ました。

 でも映画の子どもたちの様子を見ると、そういう厳しい現実とはちょっと違うところに「学校」というのがあるように感じました。学校に行けば友だちに会えるから楽しい(すごい過疎地域に住んでいて自宅の近所には友だちがいない)ということもあるし、働かせずに学校に送り出してくれる親への感謝から勉強を頑張らないといけないと思い、学校を卒業して希望する職業に就いたら社会のためになることをしたいという希望を抱いている。しごくまっとうなというか、子どもらしい素直な気持ちで学校に通っているんですね。

 象に襲われる危険をかいくぐって学校に通うケニアの兄妹は、その日どこに象の群れがいるかによって違う道(>私たちから見れば単なる草原で、どこに道あるかわからない)を走って通っています。アンデス山脈に暮らす兄妹は馬に乗って通い、途中、これまたどこが目印になっているのかわからない草原の真ん中で同じような馬で他の子どもたちと待ち合わせをしています。モロッコの少女は、毎週月曜日寄宿舎に向かって4時間の道のりを歩いて通います。インドの三兄弟は、足に障害を持つ長男をボロボロの車いすに乗せて、下の2人の兄弟がそれを学校まで押していきます

 全編を通じて感じたのは、どこにも悲壮感がないということ。これは監督の演出(ドキュメンタリーと言えど演出はあります)によるものだと思います。それぞれの通学途中で思わぬトラブルに見舞われるんですけど、そのトラブルをも子どもたちがたくましく乗り越えていくし、何より親がその子どもたちを学校に通わせることを全肯定している。普通、貧困地域では少女は学校に通わせてもらえない現実があるのですが、映画に登場するのは半分が少女でした。(>私はそれに驚きました)たぶん監督が女の子でも教育が必要だということを伝えたかったんだと思うし、辺境の地に暮らしていようが、貧しかろうが、そういうことをわかっている親(大人)はいるんだということ、本当の意味で子どもを愛しているんだなというのが伝わってくるし、子どももそんな親に感謝しながら自分の未来に希望を抱いている。家族愛、きょうだい愛がものすごく伝わってくる映画でした。

 観た後、下の子といろいろな話をしました。下の子は「観る前は面白くなさそうな映画だと思ってたけど、観てよかったよ」「すごくきょうだいが仲良かったね」「すごく学校に行きたくなった」と言っていました。日本という国で学校に当たり前のように通っている子どもたちは、きっと映画の中の子どもたちが知らない苦悩を背負っていると思うので、映画の中の子どもたちの方が偉いとかそういう単純な話ではありません。ただ、世界は広いということ、学校で勉強する意味、大切にしないといけない価値観は何なのか、などを子どもと一緒に感じてみたいと思っていたのですが、下の子なりの受け止め方をしたようで、一緒に観てよかったなと思いました

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2014年4月24日 (木)

「舟を編む」見ました~!

昨晩、テレビで映画「舟を編む」をやってましたね

映画の随所に「出版業界あるある」がてんこ盛りで、笑ったり感心したりしながら見てました。

15年とかかかる辞書の編纂、本当に血の滲むような努力の結晶ですよね。

私は辞書の編纂経験はないのですが、事典の編集は何度か関わったことがあるので、その苦労や喜びにすごく共感できました。(今月も1冊、事典が校了しました)

ちょっと端折られちゃってるな、と思ったのが、外部に原稿を依頼したものが集まらなくて困る…といったことが全くなかったのことです。

「大渡海」は、社内で執筆をする分と外部に頼む分とに分かれていましたが、一度企画が頓挫しそうになったときに、一斉に外部執筆者を探して電話をしまくるシーンがありました。ということは、やはりある程度外にも執筆を頼んでいるはずですよね。

私が関わったことがある事典では、30人とか執筆者がいらっしゃって、とにかくその方々の原稿を期限までに集めること、ゲラ(校正紙)を期限までに戻していただくこと、これが一番の大変なことというのは間違いないんです(毎度毎度、それぞれの方のご都合で遅れたり、最悪、原稿が入らない、戻ってこないということがあります。)

まあ15年もかけているわけですから、その間にそういうことがあったとは推察できますが、そのあたりの執筆者と編集者の攻防戦(ほんと「闘い」だと思います)もあると、面白かったのになあと思いました。私は実際、事典の執筆者への督促はやったことないのですが、普通の書籍において、遅筆な執筆者のお尻を叩いたり、なんとか原稿をもらおうとなだめすかしたり(?)、執筆者の原稿入稿やゲラの戻しが遅れたおかげでこちらの作業が徹夜続きといったことはしょっちゅうあります(爆)

映画の中で一番好きだったのは、辞書の紙を選ぶシーンです。紙の滑り感が…みたいな話をするところ。一般の方には紙の材質なんて普通どうでもいいと思うのですが、デジタルよりアナログの紙の本が好きな人って、やっぱり紙のぬくもりが好きなんだと思います。

私が業界に入った頃は、まだ活版印刷もあり、出来上がった本は開くと、インクのにおいだとか活字の凸凹感だとかそういうのも感じられました。まあ、もうホント過去の過去って感じですけどね。

あの編集部に集っていた人たち、一人ひとりに個性があって、それもすごく面白かったです。馬締くんの熱意に触れて、なんだか私もちょっと熱い気持ちになりましたよ。

原作は読んでいないので、機会があれば読んでみたいです。


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2014年3月 4日 (火)

カッコいい女性

いつもは見ないNHKですが、たまたま「プロフェッショナル仕事の流儀」を見ました。

NHKサイト→http://www.nhk.or.jp/professional/2014/0303/index.html

通訳者・長井鞠子さんがターゲットでした。

日本のトップ通訳者とのことですが、御年70歳!

番組サイトを見るとわかりますが、「同時通訳は格闘技」とおっしゃるとおり、通訳をしている間の長井さんは、とても熱い!!

仕事の様子を見ていると、とても70歳とは思えませんでした。(うちの母と同い年でした)

スゴいのは、とにかく驚くほど努力しているということ。

仕事に対するプロ根性(>根性という言葉がピッタリだと思います)が半端ないです。

実は、最近、私、ちょっと仕事に対するモチベーションが下がってしまっていました。

理由はいろいろあります。

ここ数年忙しすぎて疲れてしまったこと。(急に仕事のペースがダウンして時間ができたことで、ふと、我に返った感じです。)

期日優先の仕事に意味があるのか疑問を持ったこと。(どうしてもやっつけ仕事みたいになってしまうのが嫌なのです。)

出版業界の今後があまり明るくないようだということ。(まあこれはずいぶん前から言われてますね。)

普通に仕事をするにはあと10年余りしかないことを思うと、このままこの仕事を続けていていいのかと疑問に思ったこと。(これが一番大きいかな。他のことにチャレンジするなら、今しかない!!って思って。)

まあ、ほんと、他にもいろんな理由があるんですけど…。

時間ができると、よけいなことを考えてしまいがちですね。でも、それも必要なことなのかな、と思ってますが。10年ぶりくらいに、ウジウジしております。(苦笑)

それにしても、長井さんはカッコよかった!! 全身全霊で仕事に取り組んでいらっしゃるのが、本当に素敵でした。私のウジウジはまだ続くと思いますが、ちょっと活を入れられた感じです

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2012年6月 6日 (水)

「短い記憶(혜화,동)」

 またまた試写会に当たって、行って来ました 映画「短い記憶」。

 場所は、ヒューマントラストシネマ渋谷だったのですが、普通の上映時間を試写会に当てていて、朝10時~開映…というムチャぶり。…いえ、この時間から渋谷に行って映画見るよ~!っていう人、なかなかいないんじゃないかと思って。友人誘ってみたけど、やはり断られ…(お仕事あるよね。当然です)。案の定というか、作品の渋さゆえか、会場は小さいけど、席は半分くらい埋まってたかどうか…というくらいでした。

 しかも、ここって、なぜに画面(映画が映る白い幕?>名前何ていうの?)が上の方にあるんでしょうか…。たぶん一番後方席から見ると、画面がちょうど目の高さになるくらい高く、前の方の人はかなり首が痛くなる構造になっています。実際、途中で何度首を揉んだことか…


●ストーリー → 公式サイト http://mijikaikioku.jp/

 17歳の高校生ヘファとハンスはお互いに恋をし、つき合っていたが、ヘファが妊娠をしてしまうとハンスは忽然と姿を消してしまった。妊娠をしてしまった未成年のヘファ。ハンスとの幸せな人生を夢見た彼女だったが、一人取り残されてしまった。5年ほど過ぎたある日、ヘファの前に突然現れたハンスは、死んだとばかりに思っていた自分達の子供が生きているという知らせを伝える。ハンスの言葉が信じられないヘファ。しかし、子供が養子にもらわれたという事実を知り、彼女の心はどうすることもできないほど揺れ動くのだが・・・。


●感想

***以下、ちらっとネタバレあります!!*****

 この監督が、ドキュメンタリー畑出身ということもあって、ヘファを中心に、彼女が生きている今と生きてきた過去をたんたんと描きつつ、物語が進行していく…と思いきや、最後の方で、思いもよらない種明かしが待っていました。その「種明かし」がかなり複雑なんです!(今、ここでそれを説明しようと文章を書いてみたのですが、あまりに事情が複雑で、うまく説明できなかったので削除しました。)

 その複雑さに一瞬、奇抜な感じを受けたのですが、その種明かしを知ると、すべての場面の、主人公2人の感情のリアルさが伝わってきました。最後のシーンも、ヘファとハンスの感情がとてもうまく表れているなあと思いました。頭で考えた結果じゃない、2人の感情の流れが自然に受け入れられました。

*上映後、舞台挨拶(監督と主演のユ・ダインさん)がありました。監督は実直な印象の方で、ユ・ダインさんは可愛らしい方でした。おすすめ度は…星4つ★★★★です


●おまけ

 映画の原題は「혜화,동」。「혜화(ヘファ)」は主人公の名前ですが、「동(トン)」って何?と思って、家に帰って検索してみました。以下のところに解説がありましたので、参考に読んでみてください。私は、「なるほど」と思いました。(でも、正解かどうかはわかりません。) 逆に、邦訳の「短い記憶」っていうのがどういう意味なのかな?と思ったくらいです。この邦訳、かなり苦労された気がします。

******
Daumの映画のサイト → http://movie.daum.net/moviedetail/moviedetailStory.do?movieId=60438&t__nil_main_synopsis=more

배경, 소재, 심리변화까지 아우르는
다의적인 제목 <혜화,동>
많은 이들이 <혜화,동>이라는 제목을 보고 처음으로 떠올리는 것은 ‘혜화동’이라는 지명이다. 흔히 ‘혜화동에서 일어나는 일이 아닐까’라는 선입견을 가지는 이름이지만, 영화를 보고 나면 제목은 단순하게 생각했던 것 이상으로 많은 의미를 내포하고 있다. 영화의 흐름에 따라 드러나는 이야기에 다의적인 제목의 뜻을 유추해 나갈 수 있다.

‘스물 셋 혜화의 지난 겨울 이야기’라는 태그처럼, 이야기에 배경이 되는 계절은 겨울이다. 날이 선 바람이 시린 볼을 할퀴고 눈 쌓인 철거촌의 공허한 모습이 혜화의 심리를 대변할 때, 제목의 의미는 <혜화,冬>(겨울 동)이 된다.

혜화를 만나러 온 한수가 5년 전 잃은 줄 알았던 자신들의 아이가 살아있다고 말한다. 이미 버린 기억을 다시 들추는 한수를 혜화는 무시하고, 아이를 만나보라는 그의 끈질긴 요구에 조금씩 마음이 흔들린다. 어쩌면 다시 되돌릴 수 있다는 희망이 그녀의 마음에 걷잡을 수 없이 번지는 순간, 제목은 <혜화,動>(움직일 동)으로 읽힌다.

결국 한수가 데려온 아이, 나연이와 하룻밤을 함께 지내게 되는 혜화. 죽은 줄로만 알았던 자신의 아이가 눈 앞에 있다는 사실이 믿기지 않는 듯 애써 아이를 밀어내려는 그녀지만 감출 수 없는 모성이 그녀를 마음을 휘감는다. 하루만 살고 떠난 줄 알았던 아이, 그러나 이젠 하루 밖에 함께 있을 수 없는 아이와 혜화의 아픈 만남. 제목은 <혜화,童>(아이 동)이 된다.

결국 다시 마주선 헤화와 한수, 5년 전으로 돌이킬 수 없다는 사실을 직시하며 억눌렸던 감정을 토해내는 그들. 다시 등을 돌리고 서로 길을 떠나지만 쉽게 발길이 떨어지지 않는다. 마음은 상처에 생채기 나고 감정은 메말라 버렸지만, 모든 울분을 토해냈을 때 다시 새로운 것들이 채워질 수 있다는 희망은 싹트기 마련. 다시 한수를 향해 서서히 움직이는 혜화의 마음은 <혜화,同>(같을 동)이다.


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2012年4月20日 (金)

「무산일기(ムサン日記〜白い犬)」を観ました

久しぶりに試写会が当たり、「ムサン日記〜白い犬」を観てきました。

ストーリー→「ムサン日記〜白い犬」公式サイト

以下、ネタバレあります。

*********

映画全体の10分の9くらいまで、脱北者の主人公・スンチョルの悲惨な現実が延々と続き、観ているのが精神的につらかったです。
彼は、ただ真面目に誠実に生きようとしているだけなのに、目の前の現実は容赦なく彼を痛めつけます。
脱北者であるということ、それだけで彼の明るい未来は閉ざされています。
でも、これはこの映画の監督が言っているように、脱北者だけがおかれている現実ではなく、たとえば日本でもどこでも、こういった社会の底辺に(本人の問題ではなく)追いやられている人たちは大勢いるからです。

映画の最後で、彼は唯一の現実の友だちギョンチョルを裏切ります。
同居人のギョンチョル(同じ脱北者)は詐欺まがいの仕事をして生計を立てていたのですが、それが失敗して命を狙われる状況になってしまいます。
そのため、アメリカに高飛びするために、部屋に隠し持っていた金をスンチョルに持ってきてもらう約束をします。
スンチョルは唯一の友だちとしてそれを承諾するのですが、あろうことかそのお金を持ち逃げしてしまいます。
このシーンは、ぜひ映画で見てほしい場面です。
持ち逃げしたお金で、かっこいい温かな洋服を買い、切ることをかたくなに拒んでいたおかっぱ頭の髪を切り、一度クビになったカラオケ店員の仕事を再度始めます。

スンチョルは教会に通っていて、読む本と言えば聖書、聴く音楽と言えば賛美歌…というくらい、敬虔なキリスト教信者です。
でも現実の中には神はいません。
皮肉なことに、最後の最後で友を裏切り、彼が彼でなくなったとき、はじめて神は彼に微笑んだように感じました。
というのは、彼が誠実に生きようとしていたときには、彼の目の前には悲惨な現実しかなく、彼が友を裏切り、これまでの自分を捨てたとたん、現実の生活はうまく回り始めたからです。

でも、結局、彼は本当に幸せな現実を手に入れることができるのでしょうか。
映画の副題になっている「白い犬」。
悲惨な生活の中で唯一本当に心を許していた白い犬が、彼が過去の自分を捨てたとき、死を迎えます。しかもあっという間に、あまりにも無惨な死を迎えるのです。

昔、戦中・戦後に、闇市で米を買う事を拒否して餓死した人がいたという話がありますよね。
スンチョルは餓死を選びませんでした。
誠実に生きようとすることをかたくなに貫こうとしていたスンチョルも、生きるためには、その誠実さを捨てるしか方法がなかったからです。
暗くて重い映画でした。
監督が「暗い映画を作ってしまって、すみません」と言うくらいですから…。

*最後に一つ。
この映画はスンチョルが脱北して韓国に来てからの生活を描いた映画です。
でも、タイトルは「ムサン日記」。
ムサンは中国との国境に接する北朝鮮の街で、脱北者の多くがこの街を目指し国境を越えると言われ、映画『クロッシング』の舞台にもなっているそうです。
つまり、映画自体はムサンでの生活ではないんです。
でも、そこに、スンチョルの人生、脱北者の人生が象徴されているのかもしれません。

おすすめ度は…星4つ(満点は星5つ)です!
スンチョルの感情の変化が、映画から溢れ出てきます
スンチョルが隣にいるように感じました。

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2011年11月10日 (木)

記憶術

巷には、いわゆる記憶術に関する本、情報など無数に存在します。
それだけ誰しも「記憶」「暗記」など、必要としているっていうことでしょうね。


私も昔から暗記は苦手…。とくに数字がらみがだめ
未だに、テレビの放送局が何チャンネルなのか覚えられない。
「○○って何チャンネルだっけ?」と毎回聴くから、いいかげん呆れられている。
だから、社会科の歴史が好きじゃない。年号が全然暗記できないから。
私みたいな人は、なんかいい方法はないか? 楽に、魔法みたいに記憶できる方法はないか?と
ついつい思ってしまうと思うんですよね~。


今朝の「スッキリ!」をご覧の方も多いと思いますが、
人の名前をどうやったら覚えられるか?という特集でした。


あるホテルのドアマンの方が登場。
その方は、5000人のお客様の顔、名前、車のナンバーを覚えていらっしゃるとのこと
どんなすごい技を使って、覚えているのか!?…と思いきや、
その方が取りだしたのは、コクヨのノートと単語帳。
ノートにとにかく覚えようとするお客様の名前を書きまくる!
書いて書いて、ついには自分で何を書いているかわからなくなるまで書く!…とか。
(↑これはイミフですが、なんか「すごい」気がしました)
で、単語帳も使っている、と。


私、なんだか感動しました
この方法って、とにかくフツーですよね。
特別な能力を持つ人だけができる方法じゃなく、フツーの人ができる方法。
なにか特殊な機器みたいなものが必要っていうわけじゃなく、せいぜい200円くらいで可能な方法。
このある意味古典的な方法で、この人は5000人の名前を覚えたというところに、
ドアマンとしてプロ意識を感じました。


私だって、きっとできる!
あなただって、きっとできる!


そう、やるだけなんです。
そう、やりましょ!


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2011年9月16日 (金)

「내사랑 내곁에(私の愛、私のそばに)」を見ました^^

Nesaran_2

偶然立ち寄ったレンタルショップで、新作の棚に並んでいたのに目がとまり、借りてきました

あらすじ*****
http://contents.innolife.net/listm.php?ac_id=7&ai_id=10932
「私の身体は固まって、結局動けなくなって死ぬんだって。それでも私のそばにいる?」
身体が少しずつ麻痺していくルー・ゲーリック病を病むチョンウ(キム・ミョンミン)。唯一の血縁である母まで亡くなった日、チョンウは幼い頃同じ町に住んでいた葬儀指導者チス(ハ・ジウォン)と運命的に再会して愛に陥る。1年後、結婚式を挙げた二人の新居は病院だった。チョンウはスプーンを握ることもできない境遇だが、いつもそばに付き添ってくれる妻チスがいるので、誰よりも闘病意志が強い。

「チス、私にも奇跡が起こるだろうか?」
全身麻痺や植物人間など、重症患者が集まった6人部屋の病棟。似たような痛みを持った病棟で、家族たちと互いに励まし合い慰労し合って、回復の兆しが見える患者や、手術に希望を委ねる患者も一人二人と生じる。しかしチョンウの状態はますます進行し、病気をクールに受け入れて闘病意志を燃やしていたチョンウも、毎日変化してゆく自身の身体を見守ることが恐ろしい。そしてついに、絶対に避けたかった言語障害が始まる……。

****

 この映画を見て、一番感じたのはリアルさです。人生ってこうだよね、たしかに。

 ジョンウの病状が悪化していくにつれてチスに辛くあたるシーンが多くなってきますが、遺体を触る仕事をしていることを気にしているチスにジョンウは「汚いから手袋をはめろ」と言ってしまいます

 「それを言ったらもう駄目じゃない? あ、あとでこのことを涙ながらに謝ればきっとチスはわかってくれるし、二人の仲はいっそう深まるな」と思っていた私の期待は見事に裏切られ、これはそれきりになってしまいます。

 ジョンウはチスに「愛してる」とはっきり言ったことがなくてチスは言ってほしいと思っていたので、私は「きっと最後の最後で愛してるって言うに違いない」と思っていたのですが、私の想像はまたしても裏切られ、結局ジョンウは言語障害が出て声を失ってしまいます。

 同じ病室の患者とその家族のエピソードもすべて、期待させておいて、実際にはその期待は必ず裏切られるんですね。もちろん相手が裏切ろうとして裏切ったわけじゃなくて、結果的に裏切られることになるだけなんです。

 なんというか簡単に言ってしまえば「間が悪い」んですよね。謝ればいいのに謝れないままとか、「愛してる」と言えばいいのに言わないままとか、そうやって過ごしているうちにタイミングを失ってしまう、ちょっとしたことに気を逸らしているすきに大事な瞬間を逃してしまう。そういうことって、人生において往々にしてありますよね

 見ている途中にどうもジョンウとチスの仲が盛り上がりに欠けるなあとおもっていたのですが、よくある予定調和(「泣きどころで泣かせる」みたいなもの)がないから、なんとなく物足りない気がしたんだと思います。

 だけど、こういう映画を見たいときって、思い切り泣きたいとか、感情移入したいとかそういうときじゃないですか? それができないって…。う~ん。だから、ちょっと不満も感じたりしました。

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2011年2月 2日 (水)

正直すぎ…?

はあ~、なかなか仕事が終わりません。
ということで、引き続きテレビをつけつつ、仕事しています

「ぷっすま」で草なぎくんが翻訳本を出した!という話題から入りましたが、
ユースケが「すごいじゃん!」というと、
すかさず草なぎくん「先生がいたんだけどね」って…
ユースケはすかさず「正直すぎ。言わなくていいよ」みたいなこと、言ってましたが…。

↓この本です

原作はイ・チョルファン作の「練炭の道」で、360万部突破しているとのこと。

関連記事はコチラ→http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=136513

原典を読んでみたいです

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2011年2月 1日 (火)

愛憎の二百年!

たまたまテレビをつけたら目に入った番組。
NHKの「英語・愛憎の二百年」。
「愛憎の」っていうのが、なんか笑えます
日本人って英語教育に熱心なんだけど、要するに成果が出ない。
なかなか上達しない。
なんで…??
っていうのを追う番組のようです。
今日は江戸時代、日本と英語の出合いから。
幕末頃、読み中心の学習法が主流となり、
しゃべるのはダメだけど、読むのはOKみたいな流れができたようです。
全4回の番組です。結構おもしろそうですよ

NHK番組HP→http://www.nhk.or.jp/etv22/tue/

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