大学生になってから読書の楽しみを知りました。
高校2年くらいまでは全く本に興味がなく、親が買ってくれた「世界文学全集」のようなものも、結局家の書架の飾りになっていたのを覚えています。本を読むのは、まあ夏休みの読書感想文用の本くらいだったかな…
3年生になってから、国語の先生がとても素敵な人で、なんていうか自分が見える世界を広げてくれたんですよね。それで、進学先も文学部にしたのですが、その先生の影響で図書館で本を借りるようになりました。自分が借りようと手に取って本の後ろの読書カードを見ると、その先生の名前があったりすると、なんとなく自分が賢く大人になったような気がしたものです
学生生活中、必要に迫られて読書をするようになり、仕事も活字の世界だったおかげか、どんどん活字中毒になっていきました。読むのは、ほとんど日本人作家の小説ばかり。一時期は一人の作家の本を網羅的に読んだり、それに飽きると、全く名前も知らない作家に手を出したりといった感じで、今日まで来ました。
ずっと海外の作家は避けてきました。なぜなら、語学ができないので翻訳で読むしかできないし、それでその小説が気にいらない場合、本当にその作家の作品が気に入らないのか、翻訳のせいなのかわからないので、それが嫌だったのです。
韓国語は原本を読めるようになったのでよかったのですが…。(といっても、読んで100%の理解は無理で、たぶん辞書がないと読み進めることはできない程度の実力しかありませんが…
)
それが、2か月ほど前から、翻訳本を読むようになったんですよ。きっかけは、ピエール・ルメートルの『悲しみのイレーヌ』の書評を偶然読んだからでした。書評を読んで、読んでみたいと興味が沸いたんですね。
『悲しみのイレーヌ』…最後が衝撃的でした。というのは、(ネタバレになるので少しにします)ストーリーが…というより、小説の構造が衝撃的だったんです。非常に実験的というか。それに気が付いたとき、思わず「えー!!!!?」って声が出ちゃいましたもん(笑) それで、引き続き同じ作家の『その女、アレックス』を読みました。これは、まあ面白かったという感じです。
ただ、読んでいて、「これはいかん!」と思ったことがあって。…それは、私はカタカナが苦手っていうことです(爆) 小説に出てくる登場人物の名前、地名、会社名等々、すべてカタカナですよね。しかも、ある登場人物の名前が、ファーストネームだったり、ラストネームだったり、あだ名だったり、職名だったり…こうなると、もう私には混乱しかありません。それで何度も冒頭の人物紹介のページに戻りながら読まないといけないわけです
今読んでいる小説も、名前が長ったらしいし、主人公とほかの登場人物の名前が似ている(カタカナにすると似ている)ので、すぐにわからなかったりして…。カタカナに弱いっていうのが、翻訳本を読むうえでネックになるなんて、今まで気が付きませんでした(苦笑) 数字とカタカナに弱いという、私の弱点がまた露呈しましたね。
しばらくは、頑張って翻訳ものにチャレンジするつもりなのですが。今読んでいる『ミレニアム』は、世界的にヒットした小説とのことで読み始めたのですが、文庫で8冊もある長編なので、どこまで読めるのか…心配です。
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